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板前と聞くととても厳しい職人の世界、というイメージを抱いてしまう方は多いことでしょう。事実、真の板前になるには何年もの修行に耐えなくてはいけないと言われていますし、誰もがなろうと思ってもなれるものではありません。しかし、森田繁吉はふとした動機ときっかけから板前という道に進んでしまいました。

■やんちゃな学生時代

学生時代の森田繁吉はとにかくやんちゃが大好きな少年で、いつも周りのオトナ達から叱られてばかりでした。ただ、学生時代というのはそうした元気いっぱいの生徒が人気を博すのも必然で、いつも彼の周りには沢山の生徒が集まっていたものです。
やんちゃとは言っても森田繁吉は決して乱暴者というわけではありませんでした。確かにケンカなどもしていましたが性根が優しい人物ですから、弱いモノイジメのようなことは一切していなかったのです。むしろ、弱気を助け強気を挫くを地で行く少年でもありました。

■賄い料理に惹かれて

森田繁吉は学生時代地元のレストランで皿洗いのアルバイトをしていました。そのお店では昼食時に何でも好きなメニューを半額で食べることができるうえに、賄いとして無料で美味しい料理が振る舞われることもあったのです。
一流のお店ならもっと美味しい賄いが食べられるかもしれない、とそう考えた森田繁吉は地元の日本料理店に就職します。そう、これこそ彼が板前という世界に飛び込む理由だったのです。きっかけこそ賄い飯目的でしたが、もともと職人仕事が合っていたようでどんどん彼は実力を伸ばしていきました。

■ツーリングが趣味

休日には毎回一人でツーリングに行くのが森田繁吉の唯一とも言える楽しみのようです。どこに行くかをあらかじめ決めておかず、その時行きたいと思った場所にバイクでツーリングするのが何とも楽しいのだと言っていました。
大抵は日帰りで終わることが多いようですが、時には宿泊してくることもあるようです。また、ホテルや旅館などに泊まらずに野宿や漫画喫茶のようなところに泊まることもあると言っていました。何も予定を立てないからこそ旅は面白いのだそうです。

森田繁吉が勤めている日本料理店は地元のグルメ誌などにもたびたび登場するような有名店ですが、今ではそのお店を代表するほどの板前となってしまいました。今は後輩の指導にもあたっているようですね。もちろん腕も一流で、板長の右腕のような存在になりつつあると言われています。これからもきっと美味しい料理を提供し続けてくれることでしょう。

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