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大坪義明はあまり人から好かれるような人ではありませんでしたが、ある時彼の行動が知れ渡り瞬く間にヒーローとなりました。また、彼はその行為を人に自慢するようなこともなく、「そんなことはしていない」とかたくなに認めませんでしたが、今ではこの地域に住む全ての人、いや、日本中の人が彼を尊敬しているかもしれません。

■恵まれた少年時代

大坪義明の父親はとある大手企業の重役ということもあり、彼は幼い頃から何不自由なく育ってきました。しかし、彼は基本的にあまり人前で笑うようなこともありませんし、あまり友だちはいなかったようです。
大坪義明の両親は彼の望みは全て叶えようとしましたが、彼は資産家の令息では考えられないほど欲のない人間だったため両親はいつも張り合いがないと感じていたようです。
そんな彼はきっと一流大学に進学してそのまま大手企業、もしくは彼の父親と同じ会社に就職するかと思われていましたが、なんと学生時代にアルバイトしたお金で地元に小さな喫茶店をオープンさせたのです。これには彼の両親だけでなく街の人全てが驚きました。

■喫茶店マスターとしての仕事

大坪義明のお店がオープンするのは毎朝6時と早く、そのため出勤前に朝食を摂ろうとするサラリーマンなどでお店は賑わっていました。また、特別どこかで修業したとも思えませんが意外にも料理が上手で、彼が淹れた珈琲も人気が高いのです。
ただ、先にも言ったように彼はあまり人前で笑ったりしませんし、愛想を振りまくということもできませんから常連客でさえ「とっつきにくい人物」と思っていたようです。お客さんが話題を振っても気のない返事しかしませんし、彼の方から話しかけるということはほぼ皆無ということです。
それにも関わらず彼のお店が繁盛し続けたのは、やはり多くの方が彼の心の底に眠る本当の優しさを感じ取っていたからでしょう。

■被災地へ黙って義捐金を送る

彼の名が一躍有名になったのは、大坪義明名義で多額の義捐金を震災で壊滅的なダメージを負った被災地へ送っていたことです。また、義捐金だけではなく彼自身が車を出して支援物質を被災地へ運んでいたというのです。この美談に地元の新聞社はこぞって彼に取材を申し込みましたが彼は全てそれを拒否しました。また、お客さんにそのことを聞かれても頑なに自分ではないと言っていたようです。
ちなみに彼が送った支援物資や義捐金は全て彼が稼いだものであり、決して家の資産などではないということは分かっているようです。

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